2004年06月06日

叔父のやさしさ

 小学校低学年の頃だと思う。夏休みに父の故郷である宮崎に遊びに行くため、わざわざ宮崎から叔父が迎えに来てくれた。叔父夫婦と僕と母とで宮崎に向かった。 球磨川沿いのドライブインで食事をする事になった。僕はハンバーグ・ランチを注文した。それぞれ料理が運ばれてくるのに、僕の分だけなかなか来なかった。叔父がお店の人に聞いたら、どうも忘れられていたらしく、それを聞いた叔父は烈火の如く怒り出した。僕自身は別に悲しくも何ともなかったんだけど、叔父が僕のために怒ってくれている事が心に響いて涙が出てきた。

 結局、僕だけそこでは食事をせずに、違う所で、叔父夫婦に待っていてもらってちゃんとハンバーグを食べる事が出来た。
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2004年06月05日

切なさの記憶

 子供の頃、家にはたくさんのレコードがあった。父の好きなジャズのレコードと母の好きな歌謡曲のレコード。その中に森進一のアルバムがあった。「影を慕いて」という曲が入っていて、何故かよく聴いていた。子供だから歌詞の内容なんてよくわからないんだけど、何だか心にしみるのだ。思うに、やはりあの声の魅力なんだと思う。森進一の声はもの悲しくて、それが当時の僕の心に素直に響いた。演歌は今でもあまり好きじゃないけど、森進一の歌だけは違和感なく聴く事が出来る。あの切なさはやはり日本人にしかわからない魔力を秘めていると思う。
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2004年06月03日

 中学生の頃の記憶。塾の帰りに、近くにある小川に蛍がたくさんいるのを発見した。その話を家で話した。
 次の日、父が誰かに頼まれたらしくて、「蛍ば取りに行こう」と半ば無理矢理、僕を連れ出した。父と二人で行動するのはとても嫌だったが、仕方なかった。
 夜8時頃、その小川に行くと、たくさんの蛍が淡い光を放ちながら漂っていた。父はそっと蛍に近づき、手でうまく捕まえた。僕もやってみた。一匹だけ成功した。それは何だかゴキブリを小さくしたような形で別にかわいくも何ともないただの虫だったけど、緑とも黄色とも違う、そんな色に光るお尻の部分だけが蛍だという事を強く主張していた。
 家に帰り、何匹か家に残す事になり、空き箱かなんかででっち上げた虫かごに入れて、僕の勉強部屋に持っていった。部屋の明かりを消してみると、蛍はよりいっそう淡い光を放った。その光は何だか切なくて、見ていると胸が痛くなった。何故そんな気持ちになったのかはわからない。でもとにかく切なさだけが残った。
 次の日、僕は家に置いておくはずの何匹かの蛍をまた小川に持っていって放した。蛍の光は自然の中で輝いてこそ、美しく感じられるものだと思った。
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2004年06月02日

夜中の激痛の記憶

 高校一年生の夏休みの出来事だ。夜中、寝ている時に、背中に激痛が走った。「あいた!」と言って目が覚めた時、なにやらゴソゴソと布団から出ていく物体がいた。それはもう痛くて、「なんじゃこりゃああ!」だった。
 電気をつけて、そいつが入ったであろう箪笥の裏を覗いたら、一匹のムカデが横たわっていた。「こいつかあ!」と思いつつ、何とか外におびき出し、叩きつぶした。「とりゃああ!」以外にあっさりと潰れた。その時は応急処置をして、また眠った。
 翌朝、近くの内科に行き、昨夜の出来事を話した。馴染みの先生は、「大変やったねえ」と同情しつつ、注射を打ってくれた。「先生、これ血清ね?」と妙に小躍りして騒ぐと、「静かにせんね!」と怒られた。
 その日は、バレー部の練習があったので、学校に行き、みんなに傷口を見せて回った。何故か得意顔でいた。その日くらい練習を休めばいいのに、しっかりと参加した。今思うと、無茶苦茶だったと思う。あの時の痛さは今でも鮮明に憶えている。ほんと痛かった。
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2004年05月27日

肝試し

 子供の頃、近所の子供達だけで肝試しをやった。夜、近くの公園に集まって、近辺の人気のない暗い路地とかを二人組で歩いてゆくという、いささか肝試しらしくない肝試しだった。でも前日から気になって、どきどきしていた。
 当日、公園に集まったのは、男女合わせて10人くらいだったと思う。二人で組になるはずだったのに、みんな怖がって、結局全員で歩く事になった。肝試しのはずがただの夜のお散歩になってしまった。でも、みんなできゃーきゃー言って、わざと怖がったりして、それなりに盛り上がった。
 当時は街灯もそんなに多くなかったから、夜はちゃんと暗かった。だからそれだけでも子供に恐怖感を与えるのには充分だった。恐いというよりも楽しさの方が大きかった肝試しの夜だった。
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2004年05月26日

おばあちゃんのうどん

 まだ小さい時、母が働きに出ている間、おばあちゃんの家に預けられていたんだけど、おばあちゃんはよくうどんを作ってくれた。いつも蒲鉾ととろろ昆布がのっていた。
 おばあちゃんの味覚だから、ものすごくしょっぱくて食べると喉が渇いた。でもおいしく食べたと思う。お店ではぜったい食べられない味。おばあちゃんのうどん。
 もう二度と食べる事は出来ないけど、僕の心の中では今でもあのしょっぱい味が鮮明に残っている。
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2004年05月16日

ギターの記憶

 僕が初めて手に入れたギターはヤマハのFG250というフォーク・ギターだ。高校入学のお祝いに母に買ってもらった。それはもう嬉しかった。サンバーストのちょっとしぶいギターだった。
 なかなか上達しなかったけど、毎日弾いていた。それまでにも曲というものを作っていたけど、それからギターで曲作りが出来るようになった。嬉しかった。ギターで初めて作ったのは、「君はベビーフェイス」という曲で、C、G、F、Amの四つのコードだけのシンプルなラブ・ソングだった。
 その後、グレコの白のSGを買った。これは当時、ストリート・スライダーズの蘭丸(土屋公平)が白のSGを使っていて、楽器屋に行ったとき、たまたま白のSGがあって、思わず一目惚れをしてしまったのだ。SGは大好きなザ・フーのピート・タウンゼントも使っていたから大好きなギターだった。
 残念ながらその二つのギターは今、僕の手元にない。フォーク・ギターは実家に置いてあって、SGの方は友達に譲ってしまった。その後、GIBSONのSGを何本か手に入れる事が出来たけど、やっぱり最初のグレコのSGの事を今でも思い出してしまう。あのギターは今でも誰かにちゃんと愛されているのかな。
posted by 慈音 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶の淵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月10日

恥ずかしい記憶

 僕は三歳くらいの頃、近所の小児科に行った時、何故そうなったのかはわからないけど、下半身裸で寝かされていて、看護婦さんが顔を近づけた時、思い切り看護婦さんの顔におしっこを飛ばしたらしいのです。これは、その病院に行く度にその話を聞かされるし、母もよくその話をしていたので、多分本当なんだと思う。その看護婦さんの事も憶えていないけど、中学生になった頃にやっと恥ずかしいなあという気持ちになった。思春期だからかな。うん、でもやっぱり恥ずかしい。
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2004年05月09日

フッ素塗布

 小、中学生の頃、学校で歯にフッ素塗布を行う日があった。大きく口を開けて、フッ素を歯にぶっかけるのだが、これがものすごく変な味ですぐにでも吐き出したいのに、しばらく口の中に含んでいなくてはならなかった。それはもう苦痛で、吐き出してうがいをしても、その後しばらくは不快感が残った。これをやる日が近づいてくると、とても憂鬱になった。
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2004年05月07日

卒業アルバム

 中学一年の時、同級生の女の子が心臓疾患で亡くなった。入学してすぐの一学期だった。その子とはクラスも違ったので話した事はなかった。
 担任の先生から朝のホームルームの時、その話があって、みんなで黙祷した。その時はその事をちゃんと理解する事が出来なかった。
 家に帰って小学校の卒業アルバムを開いた。小学校でも違うクラスだったので話した事はなかった。アルバムの中にはその子がいた。話した事もないただの同級生だったのに、アルバムに写っているその子を見たら無性に悲しくなってきて泣いた。涙がとまらなくなった。泣いて、泣いて、泣き疲れて、いつの間にか眠っていた。13歳の頃の記憶です。
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2004年05月06日

小面の女

 先日、能面の、「小面」に似ている女性が僕をくすぐり倒して失神させてしまう夢を一年間ほど見続けた話を書いたのだが、その話には後日談があって、実はその後、町内でその、「小面」の面に似ている女性を実際に目撃してしまったのである。子供の僕は心臓がとまりそうなくらいびっくりして、おしっこをちびってしまった。ほんとに恐かった。別にその女性が実際に僕に何かをするわけではないのに、目撃してからはもう出歩くのが嫌になった。だが不思議な事にその女性を目撃してから、その夢は見なくなったのである。その夢を見なくなってからは、その女性の事も次第に気にならなくなっていった。でもやはり不思議な体験だったなあと思う。
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2004年05月05日

悪夢の記憶

 小学生の頃、ほぼ毎日見る夢があった。その時々でシチュエーションは変わるのだがベースになるストーリーは一緒で、その夢を見るのがものすごく嫌だった。
 能面に、「小面」という面があって、その面にそっくりな女の人が出てきて、寝ている僕や遊んでいる僕を羽交い締めにして笑いながらくすぐり倒すのである。僕はその度に悶絶して気を失ってしまうのだが、目が覚めるといつもぐったりしていた。本当に恐くて嫌だった。
 この夢はほぼ1年間くらい続いた。何が原因かはわからないが、その頃の僕の精神状態が何かしら影響を及ぼしていた事は確かだと思う。

小面
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2004年05月03日

アップルパイ

 僕が子供の頃、母はたまに、ふと思い出したようにアップルパイを作った。それはほんとに突然なので、母の中で何かアップルパイを作りたいという衝動がわき起こるのだろうと思った。
 うまく出来る時もあれば失敗する時もあった。母は作ると満足するようで、自分で食べる事はしなかった。だから僕が必ず食べる事になるのだが、母がアップルパイを作りたいと思う気持ちの奥底に何が潜んでいるのかを考えると、何だかわけもなく切ない気持ちになった。何故切なくなるのかは自分でもわからない。でもとにかく食べながら切なくなったのを憶えている。だから、今でも僕の中でアップルパイの味と切なさはワンセットになっている。
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2004年05月02日

不思議なラーメン

 僕は福岡出身だ。だから、当然ラーメンはとんこつが好きだ。とんこつ以外のラーメンにもおいしいものがあるんだなあと思ったのは、ほんとここ最近の話である。
 僕が育った街も、もちろんとんこつなんだけど、あの一般的なとんこつの味とは別に、もうひとつの味のラーメンがあった。
 それは何というか長崎ちゃんぽんに近い味で、麺も太めで、でも野菜がいっぱいのっているわけでもなく、ラーメンとして出されるので、やはりラーメンなのだ。 あれは味噌とも醤油とも違う一種独特な味だった。その味のラーメンを出す店は結構多かったので、あの辺では普通に受け入れられていたんだと思う。今は微妙にしか味を思い出せないけど、食べたらやっぱり、「ああ、この味だ」と思うに違いない。食べた事のある人にしかわからないあの味。また食べてみたいと思うけど、今でもあの味のラーメンは生き残っているのかなあ。
posted by 慈音 at 22:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 記憶の淵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月30日

MAGIC BUS

 僕が通った幼稚園はバスの送迎があった。このバスは真ん中に入り口があって、そこから出入りするようになっていた。だから運転手さんの横にも座席があって、そこに座るのがある意味ステイタスになっていた。当然、送迎のコースが早い園児の方が断然有利で、僕は座れたり、座れなかったりした。その席に座れた日はとても嬉しかった。何よりもそこから見える街の風景を楽しんだ。

 街を走るバスに乗る時は運転手さんのすぐ後ろの席に座るのが好きだった。運転手さんのまわりにたくさんスイッチがあって、運転手さんがそれを押したりするのを見るのが好きだった。あの頃のバスはギアが床から直接出ているものが主流で、その細長いギアがバスの振動で揺れているのを見るのも好きだった。
 大人になってからは、さすがに運転手さんのすぐ後ろの席に座る事はなくなったけど、たまには童心に帰って、座ってみてもいいかなあと密かに思っている。
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2004年04月29日

タンクローリー

 今朝の夢で思い出したのだが、小学五年生の途中まで住んでいた家の近くには大きな工場があった。昼間はそうでもないけど、夜になると不気味な色の煙が煙突から出ていて子供なりに不快感を持っていたのを憶えている。
 その工場にはいろんな種類のトラックがたくさん出入りしていたのだが、僕はその中のタンクローリーが好きで、よく道路を挟んで工場の入り口の反対側に座り込んで、トラックが出たり入ったりするのを飽きもせずに見ていた。
 中でもその好きなタンクローリーが来ると嬉しかった。そのタンクローリーは特徴があって、タンクの部分が後ろに向かって下がっていくのだ。その曲線美は今考えても完璧な美しさだったと思う。タンクのラインや後部のタイヤの並びの美しさとかに、子供の僕は溜息をついていた。
 今でもあの形ははっきりと憶えている。今見たらまた違う印象を持つかも知れないけど、子供の頃の僕はそのタンクローリーにとにかく首ったけだったのだ。
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2004年04月28日

星の観察

 中学生の時、仲のいい友達三人で夏休みに星の観察をしようという事になった。話し合って、友達の家のガレージを拠点にする事にした。ただ、望遠鏡も何もないので、ただただ星を見るっていうだけだった。星を見る時以外はガレージの中で、お菓子を食べたり、音楽を聴いたりして過ごした。何だかガレージの中でそんな事をするのが楽しくて後半は星の観察よりもガレージで過ごす事の方がメインの出来事のようになった。長い夜が明ける頃にはギターまで引っ張り出して歌ったりした。結局、星の観察はレポートも何も作らなかったけど、あの日の星空はしっかりと僕の目に記憶されたと思う。
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2004年04月27日

冷やし中華

 子供の頃、冷やし中華が苦手だった。何だかもわっとした匂いというか、多分、酢の匂いだと思うんだけど、それがどうしても好きになれなくて、あと、ハムとか胡瓜とか卵焼きとか、そんなものが乗っているのも嫌だった。だから夏の日のお昼に冷やし中華が出るとかなり憂鬱な気分になった。でも母が作ってくれたものだから無理して食べたけどね。
 冷やし中華を普通に食べられるようになったのは一人暮らしを始めてからだ。今でもそんなに好きでもないけど、時と場合によってはおいしく食べられる時もある。やはり季節の風物詩としてたまに味わうのがいいと思います。
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2004年04月24日

みんなの絵

 絵が好きだった子供の頃の事は以前、この、「記憶の淵」で書いているのだが、今回はそれに関係のある話について書こうと思う。
 その当時、福岡のTNCというテレビ局で、「みんなの絵」という5分間くらいの番組を夕方放送していた。これは県内に住む小、中学生(小学生だけだったかも)が書いた絵を送って、選ばれたら番組で紹介されるというものだった。当然僕も絵を描いて応募した。確か三回くらい応募してやっと選ばれて、番組で絵が紹介された。緊張した。テレビの前で正座して見た。たった一度のあっという間の出来事だった。あの頃、ビデオがあればよかったのになあと思った。
 次の日、学校で友達に、「見たばい」とか、「すごかね」とか言われてすごく嬉しかった事を思い出した。
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2004年04月23日

初めて行ったライブ!!

 僕が初めてコンサートに行ったのはエリック・クラプトンだ。80年代中期の話である。それからは結構いろんなアーティストを見に行っている。僕が影響を受けた英国の大御所達はほとんど見ることが出来た。そして、7月には絶対ライブは見れないだろうなあ、と思っていたあのTHE WHOを遂に見るのである。くどいようだが感無量である。

 と前置きをして、実は70年代始めのグループサウンズ末期に僕は母に連れられてオックスというバンドを見ているらしいのだ。まだ幼稚園にも通わない時期にである。正直、その時の記憶はない。でもきっと本当の話なんだろう。「アイちゃん、アイちゃん」と叫んでいたらしい。

 というわけで、みなさんに質問です。初めて行ったコンサートやライブは何ですか?ぜひ教えて下さい。よろしくお願いします。
posted by 慈音 at 20:47| Comment(5) | TrackBack(0) | 記憶の淵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする